白雲自ずから去来す:機会に備える
こんな情景を想像してください。
真夏の強い日差しを受けながら、畑仕事をする人。一息つきふと空を見上げると、遠くに白い大きな雲が浮かんでいる。遠くの雲を眺めながらその人はこう考える。
「あの雲こっちにこないかなぁ。」
白い雲が太陽を遮ってくれるまで一旦仕事を中断することもできます。しかしいくら待っても、雲は自分の真上には来ないかもしれません。そう考え、また真夏の日差しの下での畑仕事に戻ることもできます。そうこうしているうちに、気付いたら真上にある白い大きな雲が涼しさをもたらしているかもしれません。思ったよりも早く仕事が終わり、残りの一日を涼しい場所でゆっくりと過ごせるかもしれません。
雲がどの方向にどの程度の速さで動くかは自然まかせです。コントロールできないものを願って待つよりも、今目の前にあるできることに取り組むことの大切さを教えてくれる言葉です。
私たちが日々生きている中にも、白雲が去来することを待っていることがあるのではないでしょうか。例えば「組織が新しいキャリアを用意してくれないかな」「上司が面白い仕事を与えてくれないかな」「週末に楽しいことが起こらないかな」と願うこともあるでしょう。
白雲のようなコントロールできないことであっても、それが訪れることを願い期待することは当然あるのかもしれません。しかしそれでは現実は何も変わりません。より大切なことは、願いながら叶う(あるいは叶わない)までの自らコントロールできる時間をどのように過ごすかです。つまり、白雲の去来をどのように待つかです。
例えば、組織から新しいキャリアあるいは上司から面白い仕事が用意されたとします。ただ何もせずに待っていたAさん、この機に備え必要な準備をしていたBさん。どちらが用意された機会を活かして、順調なキャリア歩み良い仕事をすることができるでしょうか。もし枠が1名分しかなかったら、どちらにチャンスがもたらされるでしょうか。
週末に友人からイベントに誘われました。想定もしておらずやるべきことを週末までため込んでいたAさん。いつでも誘いに応えられるように日々すべきことをこなしていたBさん。どちらがイベントの時間を楽しむことができるでしょうか。そもそもAさんは参加できないかもしれません。
これらは、白雲を待つ時間に必要な努力をしていない場合には、白雲が去来したチャンスを十分に活かすことができない可能性を示します。さらには、去来してもおかしくなかった白雲をみすみす逃してしまうことになるかもしれません。
この言葉から2つの重要なことを学ぶことができます。
●コントロールできる目の前のこと(畑仕事)に集中せよ。
●コントロールできないこと(白い雲)に捉われるな。
この言葉から「困難な状況を忘れ、今できることに没頭しているうちに、いつの間にか期待していた(あるいは期待もしていなかった)偶然を手に入れることができた」という物語を読み取りました。
実はこの考え方は有名なキャリア理論であるプランド・ハプン・スタンスセオリー(計画された偶発性理論)と類似する点が多々あります。
ここでは詳しく述べませんが、この理論では個人のキャリアの8割は予期しない偶然の出来事によって形成されるという研究調査から見出した原理を前提に、その偶然は意識や努力によって新たな機会へと発展させられるとしています。キャリア形成の8割は白雲去来のような予期できないもので、意識や努力などの能動的な働きかけや備えによって新たな機会につなげることができるということです。