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キャリアについて書く理由

ブログを書き始めるにあたり、なぜ自分がキャリアをテーマに書くかを整理します。

私の人生のテーマは「キャリア」です。具体的には「豊かな人生とはどのような生き方なのか」「人間らしく・自分らしく生きるために何ができるのか」に興味があり、生き方の指針や選択肢について日々考えています。

皆さんもそれぞれに「人生のテーマ」をお持ちだと思います。なぜか大好きなこと、いつも考えてしまうこと、時間を忘れ没頭できることという表現にも置き換えられます。例えば、パッと思い浮かぶ私の友人たちの人生のテーマは、

時間活用/フットサル/貧困問題/チーズ/日本酒/家族生活/アニメ(ワンピース)/自転車/筋トレ/ガーデニング/プロレス/電車・鉄道/地方活性化/プログラミング/自給自足/ランニング/サーフィン/ヨガ/アジア旅行/愛犬/教育/映画/地域医療/家庭料理/アウトドアキャンプ・・・

など多岐に渡り、何をテーマに設定するかは自由で、複数テーマを同時に追及している人も少なくありません。その時々によってテーマが変わることもあるでしょう。

では、なぜ私の人生のテーマは「キャリア」になったのか。

人生を過去に遡りながら考えたことを、ご笑覧ください。

私はごく一般的な家庭に育ち、物心ついたときから高校生までサッカーに夢中でした。とにかく朝から晩までボールを追いかけ、やや大袈裟ですが、気付いたら大学生になっていたようなイメージ。そのくらい没頭し、逆に言えば勉強や遊びなどサッカー以外のことについてはほぼ関心がありませんでした。

現実的な一面では、サッカーを仕事にする難しさにも薄々気付いていました。ただそのような人生を生きてきたためサッカー以外のことへの意識は弱く、仕事が安定しそうだという理由で理系を選び、大学・大学院まで進学しました。そんな私なので、理系大学院まで行けば学校推薦でメーカーのエンジニアになるものだと思いきや、転機が訪れました。

就職活動です。

親の立場からしてみれば、当然大学院まで進学させたのでエンジニアになってくれるものだと期待していたと思います。そして実際に1学年上の先輩方は9割以上がエンジニアの道に進みました。一方で私は、環境にも恵まれ研究活動に面白さを見出し始めていましたが、この先40年(当時は定年60歳想定)、ある特定分野の研究活動し続ける人生を素直に受け入れられない自分に葛藤を抱えていました。「10年後に会社の戦力になってくれればいい。」とやさしく語るリクルーターの言葉に、魅力を感じることはありませんでした。

没頭してきたサッカーという人生の柱が無くなり、流されるように生きてきた自分にとって、就職活動で突如として投げかけられた「あなたは何をやりたいのか?それはなぜなのか?」という問いは重く、イヤでも直面せざるを得ませんでした。からっぽな自分自身を直視した瞬間とも言えます。

あまりにも狭い社会・価値観で生きたきた私は、就職活動を通じて、トンネルの暗闇から抜けたかのような世界の広がりを感じました。その一方で、その世界はあまりにも広く眩しかったため「何をやりたいのか?」という問いへの答えはわかりませんでした。

そもそも“何をやりたいのかわからない自分”で“何をやるのかわからない仕事”を選ぶことに限界を感じ、健全な割り切り感と共に、最終的には直感で就職先を決めました。転職支援サービスのDODAやアルバイト情報anを始めとする人材総合サービスを提供する急成長企業のインテリジェンスです。

振り返ってみると、直感の裏にはこのような判断が隠されていたように思います。

●もっと社会全般のことを広く知り、自分の世界を広げたい。社会にはどのような産業、企業が存在し、そこにはどのような種類の仕事があるのか。

●個別で生々しい人間のキャリア選択を、肌で感じたい。仕事に人生にどのような姿勢で向き合い、どんなことに喜びや葛藤を感じ、どのような可能性を選択するのか。

●その時々の自分でキャリアを能動的に選択できる「転職」という概念に共感。人生が決まっているかのような受動的(自動的)なキャリア選択への違和感。

このような経緯で「キャリア」というテーマへの興味が芽生え、転職希望者の転職活動をサポートするキャリアコンサルタントとしての社会人人生がスタートしたのです。

キャリアコンサルタントの仕事を通して、幅広い業種・職種の約1,000名の人生に向き合わせていただきました。目の前の方の人生や仕事を理解し、仕事を紹介するには想像を超える社会や人間への理解が必要でした。自分が学びたいことと、仕事から求められる能力が一致する状態は快適でした。キャリアを豊かにする一つの条件なのかもしれません。

その後、尊敬していた上司の上司の温情で、かねてより希望していた事業企画に異動しました。異動を希望していた理由は以下です。

●インテリジェンスの社員は善い心で努力できる人ばかり。一方で(当時の)就業環境は健全とは言えず組織の生産性も低かったため、成果が出る仕組みを考える役回りになりたかった。

●産学連携で研究をしていた大学院時代に「技術は経営の一要素に過ぎない」と考えさせられ、経営に対する浅い興味を持っていた。

そこでは主にDODAサービスのプロセス改善に取り組みました。東北大震災や外資系ファンドからの買収への対応など貴重な経験を積ませてもらいました。

「キャリア」というテーマに話題を戻すと、インテリジェンスで働き気付けたのは「やりたいことができない」という現実に苦しんでいる人が多いことでした。ここには問題が2つあり「やりたいことが見つからない」と「やりたいことができない」です。

自分なりにこの2つの問いと向き合った結果、「働きたいと思える組織やこれをやりたいと思える仕事を自ら創り出すことのできる、ビジネスリーダーの絶対数が足りないのではないか」という仮説に至り、最も実践的なリーダー教育を提供する新鋭ビジネススクール(経営大学院)に活動の場を変え、現在に至ります。

こうした私自身の拙い経験と、現在勤めるビジネススクールで出会う素晴らしい社会人学生の皆さんや人生のテーマを追及しながら豊かにキャリアを歩む多くの友人から教えて/気付かせていただいたことを整理したいと考え、こうして筆をとっています。

ご縁あってブログをご覧いただいた皆さんが、ご自身のキャリアへの何かしらのヒントをつかんでくださることがあれば、これほど嬉しいことはありません。

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