喫茶喫飯:ただ目の前のことを丁寧に
この言葉が伝えているのは「お茶を飲むときはお茶を飲むことのみに集中し、ご飯をいただくときはご飯をいただくことのみに集中せよ」ということです。
カフェでの光景を思い返してみると、本を読んだり、PC・スマホを操作していたり、誰かと会話をしていたりと、ただただ目の前の飲み物を味わっている人は、私を含めほぼいないことに気付きます。食事の場合も、テレビという誘惑があります。
「目の前のことにただ集中する」あるいは「丁寧にその行為に取り組む」のは、非常に難しいことなのではないでしょうか。
では「目の前のことに集中する」「丁寧に行為に取り組む」とは、どのような状態を指すのでしょうか。禅宗にある「五観の偈(ごかんのげ)」という食事の作法を例に考えてみましょう。
この作法は、食事を単に空腹を満たす行為として捉えるのではなく、大切な修行の時間と考え常に5つのことを心得るそうです。そして一口ごとに箸を置きながら、丁寧にいただきます。
1.一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
(多くの人の思いを感謝していただく)
2.二つには己が徳行の全欠を忖って、供に応ず。
(自分の行ないを反省し静かにいただく)
3.三つには心を防ぎ、過を離るることは、貪等を宗とす。
(好き嫌いをせず欲張らず味わっていただく)
4.四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。
(健康な体と心を保つために良薬としていただく)
5.五つには成道のための故に、今この食を受く。
(円満な人格形成のために合掌していただく)
この5つの心得を眺めているうちに、【感謝】や【反省】の気持ちを抱きながら命をいただく【姿勢を正し】、食べることで得られた【生きる力】を社会のために【役立てる】というような意味合いを持つように思えてきました。
食べることに集中しながら丁寧にその行為に取り組むことで、自らの心や姿勢を正すこと、社会に役立つ覚悟を持つことにまで想いを馳せられるということです。そういう心構えで食事をすることで、いかに自分が幸せであるかという事実を認識できるのではないでしょうか。
ここで考えたいのは、喫茶喫飯に従いながら五観の偈のような作法でキャリアを歩めてということです。目の前の仕事(人生全般の行為)に集中し、丁寧に取り組めているかという確認とも言えるかもしせません。
個人の価値観が多様になり、その受け皿としての働き方・生き方のバリエーションも増えました。組織を変えるキャリアチェンジ(転職)も珍しいことではなくなり、様々な選択肢が目の前に広がっています。
そんな時代だからこそ、自分の可能性を試してみたい、いろいろな人生を歩んでみたいと考えられますし、それはキャリアを豊かにする一つの方法です。
その一方で、様々な試してみたいこと/やりたいことに目隠しをされ、今まさに目の前にある自分の仕事(人生)に集中できていない、丁寧に取り組むことができていないのであればそれは考えものです。
将来のやりたいことを必死に考えていても、今の目の前にあるものが変わるわけではないからです。さらに言うと今の自分からスタートすることでしか、未来のキャリアは手に入りません。今の自分をないがしろにして、望むキャリアを手に入れることはできません。
それが真実なのであれば喫茶喫飯を心掛ける、つまり、目の前の仕事に集中し、丁寧に取り組むことが未来を拓くことにつながってくるのではないでしょうか。ここで思い浮かぶのが、阪急東宝グループ小林一三氏の言葉。
『下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。』
目の前の仕事(人生)に丁寧に取り組む行為が、仕事に感謝や反省、つまり意味や成長機会をもたらし、それが姿勢を正す。仕事(人生)を通じて生きる力が養われ、社会に役立てる人間に育っていく。
スピード・効率が重要視される選択肢多き時代に逆行するかのようにも思えますが、今この瞬間に集中し、丁寧に生きることの価値を見つめ直したいものです。