水急不月流:月と月影は違う
「みずきゅうにしてつきをながさず」と読みます。
水面に月が映し出されている情景を思い浮かべてください。穏やかな水面に風を吹かせると、水面の変化に合わせて月影はゆがみますが、その水の変化がどんなに急であったとしても月が流されることは決してありません。
水面と月を、「社会で起きている出来事や溢れる情報(水面)」と「自分自身の心(月)」に見立てた情緒溢れる言葉です。
私たちが生きている今の時代(2016年現在)の水面は、大荒れの激流に見立てられるかもしれません。ゴーゴーと大きな音を立てながら、土をかき混ぜ岩を削り取るような流れの中で生きているのかもしれません。
例えそうだとしても、水急不月流という言葉は自分自身の心まで流れに飲み込まれることはないと教えてくれます。荒れる必要もないし、かき混ぜられ削り取られることもありません。はるか上空に堂々と存在していればいいのです。
ではどのようにすれば、水面の月影のように生きられるのでしょうか。
それは自分自身は月なのであり月影ではないことを知ることだと思います。現実に適応しながら生きていると、社会という水面に映り込んだ自分の姿を本当の自分の姿だと勘違いしてしまうこともあるでしょう。
でもよく考えてみてください。あくまで月影は影なのであって、月そのものでありません。影はその水面に切り取られた自分の一側面でしかありません。その影が乱れる、例えば急に不利な環境に置かれたり、理不尽な状況にさらされたり、困難に直面し失敗したりしても、自分自身(の心)が乱されることはないのです。
水面は無数に存在し同時にそれらの数だけ月影があります。自分には様々な立場や役割があり、感情があり能力があり、その分だけ人生の歩み方があり可能性があるのと一緒です。たった一つの月影を自分だと勘違いしていることに気付けば、もう自分を固定的に決めつけることもないでしょう。荒れた一つの水面に心を惑わされることもないでしょう。